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「多数のわらじ」を履いている?私の、ちょっとだけ息抜きさせてもらえる場所だったり
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・・・あの日のこと、忘れない。



もっとずっと大変な思いを今もされている方がいらっしゃることを考えたら、ここに自分のことを書くべきではないと思ったけれど。
でも、今になったからこそ、落ち着いて書きなぐれるものもあるかもしれない、と思った。

私が経験した事は、甚大な被害を受けた地域の方々の其れと比べたら、瑣末なことかもしれないけれど。

人の数だけ、あの日の記憶がある。

・揺れは少なくとも2度
最初のはゆーーーーーーっくりとした横揺れ。
地震はそんなに珍しいものじゃなかったけれど、不思議な揺れ方をしてるな、と思った。
その後、擬音にするなら「ズガガガガガガガッ」という感じの揺れが来た。
「グラグラ」とかそんな甘いもんじゃない。
揺れは1分~2分くらいは続いていたような気がする。もっとあったかもしれない。
その後、防災ヘルメットを取り出して頭に被った瞬簡に2度目が来た。
大きなユラユラは無かったけれど、揺れの大きさは2度目と変わらない。
(確か、この時に・・・揺れの中で、リンクさせていただいているローガン様にメールを送信したと思う。)
1度目の揺れと違い、自分の机の抽斗がガタリと開くような揺れ方だった。

・帰る手段が尽きた。
事務所フロアからは、電車から降りて線路上を徒歩で移動する方の行列が見えた。
この段階で、今日は電車が動かないだろうと・・・推測できた。
近くのコンビニからは、食料が消えて、商品棚に残っているのはお酒のみだった。
総務からアナウンスで非常食と水、保温用のためのシート(寝袋代わり)の配布が知らされる。
同じフロアの方と一緒に、食堂まで降りていき、それらを受け取る。
この段階で夕方6時半くらい。
ふと、玄関から外を見ると・・・目の前の幹線道路は大渋滞、歩いて帰宅を目指す方が列をなしていた。
こんなにこの道路が混み合っているのを見たのは初めてだった。

・ネット、テレビ、ラジオ
急遽、テレビを設置して即席アンテナを造り(当時はセロテープで柱に固定するだけでもアナログ放送は入ったのだ)、各フロアで情報収集が行われた。緊急の対策室も作られていた。
ネットには情報が散乱し、号外がPDFで挙がっていた。
勿論、津波で流されて破壊された街が写されたもの・・・恐らくズームアップしたら、ご遺体が紛れているのではなかろうか、というような画像だ。
テレビは何度も津波の画像や情報が叫ばれていて、仙台市の荒浜地区で沢山のご遺体が見つかったという報道が何度も為されていた。
チャランチャラーン、という、あの緊急地震速報も度々流れてきた記憶がある。テレビ画面には日本列島の淵を赤や白や黄色のラインが取り囲んでいた。
全てのテレビがそんな状況で、とりあえずN●Kが付けられたまま。
福島第一原発の水蒸気爆発のニュースは、会社で聞いたか家に戻ってから聞いたか、それは覚えてない。
調べればどのタイミングで聞いたか分かるとは思うけれど。

・帰宅の途が開かれたが・・・。
急遽、フロアの営業の知り合いの個人タクシーの方が動いてくださるという話が出た。
しかし、フロアに残っているメンバーは各方面から来ているし、人数も多い。
『選抜』が始まったのは夜10時くらい。
そのうち1台は女性陣が多い埼玉チームに宛てられることになった。
会社にそのまま残る方に申し訳ない気持ちだった。けれども「行け!」と背中を押してくださった。
後ろ髪を引かれるような気持ちで会社を出たのは日付が変わった頃だった。

・タクシーの中で
多分、東大の赤門前付近に漸く差し掛かった頃に長野県北部を中心とした強震が起きた。
車の中でもかなり揺れたし、タクシーに設置されていたテレビでも緊急地震速報がけたたましく鳴った。
何度も襲う余震や、テレビから流れるアノ音にびくびくしていた私に気づいたのか・・・運転手さんがテレビを消してくださった。何も音が無くて、ずっと渋滞に巻き込まれていて、しかも夜・・・刺激がないと眠くなるかもしれないし、辛いと思う・・・それでも気遣ってか消してくださった・・・申し訳なくもあり、有り難くもあった。
其の後も何度も揺れたけれど、逆に静か過ぎて辛くなってきたので・・・敢えてテレビをつけてもらうことにした。
「大丈夫?」と運転手さんからは聞かれたけれど、繰り返しであってもやっぱり情報が欲しかった。
「ここまできたらもう寝ません!!」と笑うと、「あまり無理はしないでね。」と。

・あの橋を越えたら
明け方の5時すぎ位に、ようやく赤羽付近まできた。県境でもある荒川を越えたら、もう埼玉だ。
この頃に、社内で寝ていたメンバーも目を覚まし始めた。
遂に目の前に荒川を越えるための「橋」が見えてきて、「ちゃんと橋がある!!」と思わず口から出て、ちょっと失笑された。
丁度夜明けの時間帯と重なって、朝日が顔を出した。その中をタクシーはゆっくりと進んでいく。
タクシーの中で歓声が上がった。
埼玉に入ってからは、都内と違って道路状況は良くて・・・渋滞はしていなかった。
ただ、速度を上げて進むタクシーから見えた県内の建物も、結構被害を受けていた。外壁が崩れていたり、硝子が割れていたり、土台にヒビが入っていたり・・・。
幹線道路を進んでいき、私の自宅付近で降ろしてもらう。残りのメンバーを乗せて、タクシーはまだ北上する。
・・・本当に、タクシーの運転手さんには感謝と・・・あのあと、ちゃんと少しでも休めたのだろうか、という心配の気持ちで一杯だった。恐らくは・・・迎えに来てから最後の一人を送り届けるまで、8時間以上はハンドルを握っていたはずだから。

・自宅へ向かう
自宅付近のコンビにはモノが沢山あった。ようやく食欲が少しだけ出たので、食料を買った。
アパートのガスは地震のために止まっていたが、メーターに書かれていた復旧方法を試したら30分くらいでガスが復旧した。
家の中はちょっとした雑貨は落ちていたものの、箪笥などは耐えてくれた。
テレビをつけて、ローガン様に「今自宅に付きました」とメールをしたのが7時半・・・くらいだっただろうか。
(都内脱出は6時間半、県内に入ってから自宅に着くまでが30分くらいだったかな。)
それから母に自宅電話から連絡し、服を着替えることも無く眠った。もしもの時にそのまま避難できるように、だった。
目を覚ましたのは午後3時くらい。関西の友人たちからメールが何通も入っていた。
この段階で、どうやら彼らの中では私も「行方不明者」扱いをされていたことを知る。
そして、東北の友人知人が何人も「行方不明」となっていることを知ることになった。

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無題
さー坊さん、こんばんは。
先ほどはメールをありがとうございましたm(_ _)m

「関東平野の片隅で1.2」文字を追うごとに胸が熱くなり、ティッシュのお世話になりながら拝読しました。
なんとコメントしてよいのか・・・
言葉を知らない自分がはがゆい、としかお伝えできずゴメンなさい。

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

1年前のあの日。
最初にメールを頂いた時の鉛を飲み込んだような気分・・・
タクシー車中からと帰宅してから届いたメールで胸をなでおろした事。
そんな記憶が甦りました。
ゴメンなさい。自分の事ばかり書いて。
ローガン渡久地 URL 2012/03/12(Mon)00:19:27 編集
Re:無題
ローガン様いらっしゃいませ。

こちらは本日また揺れました。
一応、震度3とのことでしたが、ここ最近の3よりも揺れがきつかったので、限りなく4に近いレベルだったのかなと思います。
長めだったし震源地が近かったので。

あの日からもう1年経つ訳ですが、変わったことも変わらないことも多々あります。
変わるべきことも、変わるべきでないことも。

自分の『体験談晒し』というよりは、記憶整理の意味合いで書いてみたのですが、結構覚えているものですね。
他にも文字にしていないだけで、色々あります。

一方で、震災があったという事実そのものが1年でかなり風化しているんだな、という感じも受けます。
一応、関東平野も被災しているのですが・・・拙宅のある県も、液状化現象などによって被害が結構出たはずなのですが。
昨年感じた殺伐とした雰囲気は無いですが、其の分何処か長閑で・・・「とっくの昔」の出来事のように受け止められつつあるんだな、という。
(今日の地震でまた意識が変わるかどうか、其れは分かりませんが。)

11日のあの時間は、街にサイレンが響く事はなかったのですが、黙祷していました。
お亡くなりになった方には、最早出来ることは祈ることだけ。
ただ、時折見かける「復興を祈る」ということについては(他人事の響きを持つその言葉に)違和感を感じているので・・・していません。
復興は祈ってどうにかなるもんじゃないでしょう?と。
(祈ることが職業である方は別として。)

自分の在り方を考える1日になりました。
さー  【2012/03/15 00:13】
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性別:
女性
職業:
多数?の草鞋履き(最近少し減らしました)
趣味:
読書、音楽弾き聴き、きもの、草いじり、料理、・・・あと、かきものとか。
自己紹介:
諸般の事情から「多数の草鞋」を履くことになってしまった私です。
息抜きとして、日々のことや趣味のことも書けたら良いなと思っています。

☆名前について☆
ここでは“さー”を使っていますが、“さー坊”というのも時折使っております。
(メール送信時は、名字まで付いてます。)
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